最高裁判所第二小法廷 平成2年(オ)183号 判決 1993年4月09日
上告人 池田典次 ほか一七名
被上告人 国
訴訟代理人 末原雅人
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人らの負担とする。
理由
上告代理人高橋利明、同田岡浩之の上告理由について原審の適法に確定した事実関係の下においては、上告人らの賃借の申出に対してした被上告人の拒絶には、接収不動産に関する借地借家臨時処理法(以下「接収不動産法」という。)三条四項所定の正当な事由があるとした原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。
次に、予備的請求に係る本件損失補償請求の請求原因は、賃借の申出に対する被上告人の拒絶に接収不動産法三条四項所定の正当な事由があることを肯定する根拠として、本件各土地を公共のために用いることをあげるならば、被上告人は、上告人らに対して損失補償をすべきであるというにある。しかしながら、接収不動産法は、接収の解除後における接収不動産の所有者とその賃借人等との間における借地借家関係を調整するための規定を設けたものであり、たまたま接収不動産の所有者が国の場合であっても、国は、私人である所有者と同一の法律関係に立つにすぎないのであって、私人である所有者より重い義務を負わされることはないものというべきである。したがって、同法三条四項所定の正当な事由を裏付ける事情として公共のために用いるということがあげられる場合であっても、このことを理由にして上告人らの主張に係る損失補償請求権を肯認する余地はないものといわなければならず、上告人らの予備的請求である本件損失補償請求も、主張自体において理由がないものといわざるを得ない。
したがって、接収不動産法による借地権の確認請求に係る訴えに損失補償請求に係る訴えを併合することができるか否かはともかく、本件補償請求は棄却を免れないが、原判決は、右予備的請求の訴えの併合を許さないとしてこれを却下したので、原判決を破棄して予備的請求を棄却することは、不利益変更禁止の原則により許されない。
論旨は、違憲をいう点を含め、独自の見解に立って原判決の法令違反をいうか、又は原判決の結論に影響のない違法をいうに帰し、採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判官 藤島昭 中島敏次郎 木崎良平 大西勝也)
上告理由
第一点接収不動産法の解釈についての法令違背
一 原判決には接収不動産法三条四項の解釈に関し、判決に影響を及ぼすべき明らかな法令違背があり、破棄を免れない。
二 原判決による接収不動産法の事実上の廃止宣告について
1 原判決は、一審判決を若干の字句の修正をなしたほかは全て引用し、いわゆる横浜大空襲以前から借地していた上告人らについては、いずれも接収不動産法所定の優先借地申出権が存在すること認めたものの、いずれの上告人らとの関係においても被上告人にはこの申出を拒絶する正当事由があるとして上告人らの請求をすべて棄却した。しかしながら原判決の判断は、前提となる事実認定について誤りがあるうえ、いかなる旧借地人の申出であってもこれを事実上殆ど許容しないものとするものであり、要するに同法を事実上廃止するに等しいものである。これは明らかに司法裁判所の権限を越えるものであり、こうした解釈が許されないものであることは明らかである。
2 原判決は、接収不動産法三条四項の借地申出を拒絶する場合の「正当事由」について「接収不動産法は、借地についていえば、旧連合国占領軍等による土地の接収により、接収当時の当該土地に存した借地権が接収中に消滅等した場合、接収解除後において、接収当時の当該土地の借地権者に対し、旧借地の範囲につき、借地権を優先的に設定することを目的とするものである。そして同法三条四項所定の、土地所有者が旧借地人からの適法な土地貸借の申出に対しこれを拒絶しうる「正当な事由」の有無は、土地所有者及び借地申出人がそれぞれの土地の使用を必要とする程度如何は勿論のこと、双方の側に存するその他の諸般の事情を総合して判断すべきもの」であるとする。
右の原判決の説示によれば、旧借地人の土地使用の必要性と土地所有者の土地使用の必要性を考慮し、総合判断したうえ、旧借地人の土地使用の必要性が極めて高いと認められた場合には、旧借地人に借地申出を認める場合があることになる。換言すれば、旧借地人がどのような居住環境にあろうとも、旧借地人には一切土地使用を認めないとか、土地所有者が国である場合には土地使用を認めないとすることは右の判示に反することは明らかである。ところが原判決は、上告人らの中には須藤茂雄、石田マツ、石田〔ただ〕宏、成川五郎らのように借地申出時及び原審口頭弁論終結時にも借家住いであって、居住状況が劣悪である者が多数存し、その他の上告人においても本件借地を必要とする程度が極めて高いものが多数存したにもかかわらず、旧借地人側の事情として、「借地していた接収地を離れて既に四〇余年を経過し、他の土地で生活基盤を作り、居住環境もそれなりに安定しているという状況下にある」、「借地申出人については、より良好な居住を確保しようという希望を持ってはいるが、今直ちに本件借地(その交換予定地)上に借地権を回復して住宅等を確保すべき差し迫った必要性はない」等と判示するのである。
ところで原判決が右に挙げる旧借地人側の事情は一般論に過ぎないものであることは一見して明らかであって、上告人らについて個別に「正当事由」の判断をなしたものでないことは明らかである。即ち右の判示の意味するところは接収不動産法の役割がすでに終ったと判断し、同法を司法裁判所の判断で事実上廃止するものであることは明らかである。このことは第一審裁判所である横浜地裁民事八部の同種事案(民有地主に対する借地申出)への判決が、民有地であり土地所有者は他に広大な土地を所有しているなどしてほとんど当該土地の自己使用の必要性がなく、一方旧借地人側は借家住いである場合にもほとんど同一の判示をなしていることからも明らかである。法の制定後、社会的、経済的な背景事情が著しく変化し、法の改廃がなされることは珍しいことではないが、それは言うまでもなく国会の専権に属することである。ある法が制定され、それが存続しているということは法の制定者、即ち国会がその法の必要性をなお認めているということであるから、これを司法裁判所があたかも右法律に従って判断をしているかのような体裁をとりながら事実上法律を廃止するような判断と取扱いをなすことは許されることではなく、そうした行為は許されない越権行為であり、法令の解釈を誤ったものである。
3 原判決は、「接収不動産法が戦後復興を目的とする罹災都市法による罹災地借地人の保護と権衡上、接収地の旧借地人を保護するため制定されたものであり、そこには戦後同法施行当時(昭和三一年)の劣悪な住宅事情下における被接収者の住居等の安定確保と接収解除地の復興促進の要請があるところ、本件では同法施行から既に二五年余を経過した後に接収解除がなされ、しかも、現在では本件各土地の存する横浜市周辺の住宅事情は同法施行当時では予想もできなかった程大幅に改善されていることは公知の事実であって、もはや同法の前記要請も極めて薄らいだものと言わざるを得ない」とも判示するが、右も誤ったものである。
(1) 原判決は接収不動産法の立法趣旨について、戦後復興を目的とする罹災都市借地借家臨時措置法(以下罹災都市法と略称する)との権衡上制定されたものであるとし、あたかも接収不動産法の立法趣旨を終戦直後の混乱した社会、経済状態下の住宅事情の安定化や経済復興促進を目的とするかのように判示するが右は誤解である。確かに接収そのものは終戦直後の混乱の只中で行われたものではあるが、接収不動産法の制定、施行時である昭和三一年はすでに終戦後約一〇年近くを経過し、朝鮮戦争などによる軍需景気を経ていたこともあり、わが国社会も相当の経済復興を果たしていたのである。したがって昭和二一年制定の罹災都市法が終戦の焼け野原の復興を一つの目的として制定、施行されたのとは事情を異にするのである。接収不動産法の趣旨は、戦後混乱期も納まった昭和三一年になり、接収による立ち退きという天災にも比すべき災難に遭遇した借地、借家人に対し、その災厄(接収)の消滅後一定期間内に限って、居住を希望する借地、借家人に接収前の原状を回復させようとするものであり、法制度の趣旨はあくまでも借地、借家人の保護にある事は明白なのであり、昭和二六年に改正された借地法四条が土地所有者からの借地の更新拒絶に厳しい制約を課したのと同じく、土地所有者に正当事由による借地権設定への拒絶だけを認め、それも右を厳しく運用し、借地、借家人を保護してゆく趣旨で制定されたものなのである。原判決の判示は接収不動産法制定の経過さえ誤解しているのである。
(2) なお原判決は、接収不動産法の立法趣旨を「戦後同法の施行当時の劣悪な住宅事情下における接収者の居住等の安定確保と接収解除地の復興促進の要請」としたうえ、「本件土地の存する横浜市周辺の住宅事情は同法施行当時では予想もできなかった程大幅に改善されていることは公知の事実であって、もはや同法の前記要請も極めて薄らいだものと言わざるを得ない」と判示する。
たしかに本法制定時の昭和三一年と今日ではわが国の住宅事情は相当の違いが存在することは右判示の指摘のとおりであるが、不動産所有者層、とりわけ賃貸不動産の所有者層と借地人層との経済階層差は今日ますます増大の一途をたどっているであって、近時の都市及びその周辺部の異常な地価高騰という事情を加えれば、借地の安定利用の維持、確保には借地人に対する法の後見がますます必要となるところである。
また、右判決が本法の立法趣旨について、接収解除地の復興促進に力点を置くあまり、社会一般の住宅事情の改善という事実から直ちに本法の存在意義の稀薄化を導いているが、これは本法の立法趣旨を正解しないものであり、かつ被接収者の接収時の筆舌に尽くし難い苦痛や借地権の喪失という重大な経済的損失に思いを至さない暴論と言わざるを得ない。現在の罹災都市法は大規模災害等によって家屋を失うなどして対抗力を失った借地権者に対し、原状を回復させるべく借地権者の保護を図ったものであるが、これらの借地権保護との権衡上からも、接収によって借地権を失い、今日においても借地を必要とする申出人を保護することは本法の立法趣旨にもとるものでは全くないのである。
(3) 又原判決は罹災都市法についても戦後復興を主たる目的としているかのように判示するが右も誤ったものである。確かに同法の当初の制定目的は今度の大戦による罹災者の居住の安定を図ること及び罹災都市の復興にあったことは事実であるが、右二つは単に並列関係にあるのでもなく、まして戦後復興が主たる目的だったのではない。
同法の主たる目的は罹災者たる、借地・借家人の権利保護による居住の安定ということにあるのであり、都市の復興は、罹災者らの土地利用開発によって必然的にもたらされる結果という関係にあることは明らかである。罹災地への建物の建築等、土地利用や建物建築など経済活動の復興促進という点についてみれば、これらの活動が旧地主あるいは土地の転得者なる新地主達によって行われようと、また新しい借地権者によって行われようと同じことなのであり、むしろその土地の利用を希望する者に直ちに利用させた方がはるかに経済活動の再開が速やかになされるはずである。であるのに対抗力を失った借地、借家権に法的な保護を与えようとしたのは不慮の災難に遭遇した借地、借家人にそれ以上の損失を発生させないため、彼等が現状回復を求める場合にはその限度で法的保護を与え、その必要を満たそうとしたものにほかならない。「本法の終局の狙いは、罹災都市の復興、および戦災地における建物建築の促進にもあるが、より直接的な目的は借地権を保護するにある」とする最高裁判決(昭和三一年七月一七日三小。民集一〇巻七号八七四頁)は前記二つの立法目的の関係を述べたものであるし、また「本法は、戦争による罹災または建物疎開のための甚大な被害を蒙った都市における罹災者の居住の安定を図るとともに、都市の急速な復興を図るために制定されたものである」との最高裁判決(昭和三三年三月五日大法廷。民集一二巻三号三八一頁)も判旨は全く同様と解せられるものである。
さらに同法は昭和二二年に「二五条の二」を設け、同法の適用範囲を同法第一条にあるような今次の戦争による罹災等に限ることなく、「政令で定める火災、震災、風水害その他の災害」による場合にまで拡大したものである。したがって同法の今日的な意義はわが国全体の経済復興とか、当該災害地域の経済復興というよりもとりわけ罹災借地・借家人の原状回復による権利保護という点に重点が置かれていることは言うまでもないことである。
三 原判決の「正当事由」の解釈について
1 前述のとおり原判決の判示は接収不動産法を事実上廃止するものであって、右の点で法令違背というほかはないものであるが、さらに原判決は、「接収解除後の本件各土地を含む周辺土地について被告ら土地所有者の意向を容れつつ立案実施される都市計画(本件事案及び本件建築協定)において、その所有地につき、公共施設ないし公的住宅等の用地として早晩仮換地ひいては換地の指定処分を受けることが予定されているのであって、右都市計画の必要性、公益性及びその進捗状況に鑑みるときは、原被告の事情の比較衡量のうえで、被告の自己使用の必要性が各原告のそれを優越するものといわざるをえず、したがって、被告には正当事由を肯認することができるというべきである」とも判示するのであるが、右の判示も接収不動産法三条四項の所定の「正当事由」の解釈を誤った法令違背がある。
2 原判決は私人である上告人らの本件土地自己使用の必要性に対し、被上告人国が本件土地のうち公共施設に予定されている土地のほか、住宅地に使用しうる換地予定地についても公団住宅などの公的利用を予定していることを挙げて被上告人国の正当事由を肯認したのであるが、右の判示のように私人の土地使用の必要性と国の公的利用の必要性を単純に比較する原判決の考え方は法令の解釈を誤ったものである。
確かに形式的には接収不動産は民事法の領域に属するものであり、当事者が私人と国の場合でも、正当事由の判断は両者の土地使用の必要性を比較衡量することにならざるを得ないとも思われる。しかしながら、私人の土地の自己使用の必要性と国が公共用に使用することを単純に比較すること等が出来る筈がないのであり、国が公共用に使用することだけを根拠として正当事由の判断をするとすれば、私人の自己使用の必要性は常に国の公共用の土地使用の前に敗訴することにならざるを得ないのである。従ってかりに私人の自己使用の必要性と国の公共用の使用の必要性を比較衡量し、正当事由の判断をせざるを得ないとしても、国の公共用の使用を優先させる為には当該借地権成立の事情、国が土地所有権を取得した事情、私人の土地使用を認めた場合の公共用利用の可能性が喪失するか否か、代替措置の可能性の有無等の各条件を考慮し、正当事由の認定には厳しい制約が課せられるのでなければならない。ところで本件では以下に述べる事情を考慮する必要があるのである。
(1) 被上告人が土地所有者となった経緯について
(イ) 本件接収地は罹災前は全て民有地であり、私人間の契約により借地権が成立したものである。被上告人は接収後の主として昭和三〇年代に、物納又は売買によって土地所有者となったのであるが、被上告人は罹災前に本牧地区に多数の借地人が居住していたことは熟知しており、かつ接収不動産法により旧借地人らによる借地権優先申出権が存することを承知で所有権を取得したのである。被上告人は接収解除後には借地権の設定を原則的には甘受すべき立場なのである。
(ロ) かりに国が借地権の設定された土地の所有権を物納、相続人の不存在、売買等で取得した場合、国は公共用に使用するとして当初の契約期間の終了と同時に無償で借地権の更新拒絶をなしうるであろうか。国の正当事由は厳しく制限されるか、損失補償を要するとされるべきであろう。
国有財産法二四条はあらかじめ国有地であることを承知で借り受けた借地人に対しても契約期間中の解除については損失補償を要すると定めているが、公共の用に供することを理由として私人の権利を自由に侵害することは憲法二九条三項からも認められるものではないのである。
(ハ) 右に述べたとおり、被上告人国が借地権の存在を熟知していながら物納又は売買により所有権を取得した本件においては被上告人の正当事由を軽々に認めるべきではないのである。
(2) 借地権の設定と土地区画整理事業について
(イ) 被上告人は本件土地の一部は公共施設に予定されていること、右の残りの土地についても公団住宅などの公的利用を予定していることを挙げ、借地権設定を拒絶する正当事由が存することを主張するのであるが、かりに上告人らの借地権設定を認めたとしても、被上告人の公共利用を妨げることはないのであり、両名は二者択一の関係にはないのである。
(ロ) 即ち、被上告人は本件区画整理地区内に四三万二、〇〇〇平方メートルの広大な土地を所有しており、一審原告らの請求していた借地は右のわずか四パーセントにすぎず、上告人らの土地はさらにその一部にすぎないのである。被上告人国は右の国有地について大部分は住宅の建てられない「その他の地区」となり、残りも公用、公共用の用途に優先的にあてざるを得ないとし、例として国家公務員合同宿舎の敷地としたい等と主張するのであるが、わずか数パーセントの土地について旧借地権者の住宅建築等を認めることが出来ない筈がないことは明白である。かえって旧借地人が多数存し、借地権の優先申出権が存するのを知りながら、区画整理事業の進行にあたって何らの配慮もしない被上告人の態度は厳しく非難されるべきである。
(ハ) しかもかりに上告人らの借地申出権を認めたとしても、必ずしも国有地の」部に借地権者の建物が建築されることにはならないのである。中井証人の証言にも明らかなとおり、判決により借地権設定が認められた土地については土地区画整理事業において、図面上、借地権者の存在を示す表示がなされることになるだけであり、直ちに借地権者に土地を引き渡すのではない。従って国において換地の場所を工夫して現実に建物を建築するか、あるいは金銭的な補償により権利調整を画るのかは全て土地区画整理事業の原則に従って処理されることになるのである。被上告人がどうしても現実の借地権の設定が公益に反すると判断するのであれば、他の地域に借地の場所を変更するか、あるいは収用に伴うに損失補償をすればよいことになるのである。右のとおり旧借地権を認めることと土地区画整理事業は矛盾なく並立しうるものである。この点について原判決は被上告人の公共用に土地を使用する必要があるとの主張に幻惑され冷静な判断ができなかった傾向が存すると思われる。
四 補償のない申出拒絶の違法性について
1 横浜大空襲によって罹災した旧借地人たる上告人らが、接収不動産法第三条に規定する借地申出権を有することについては原判決も認めるところである。原判決はこれら上告人らの適法な借地申出に対して、国にはこれを拒絶する「正当事由」が存在するというのであるが、その国側に存在する「正当事由」の唯一最大ともいうべき事情は、本件土地が横浜市の都市計画に従って公園・住宅建設用地その他の公共のための用に供されることになっているとの事実であるといってよい。
被上告人国の主張も右の点については全く同様といってよい。即ち被上告人は、本件土地については、旧地主から借地権の負担のないものとして買受けたとするほか、原判決認定のように本件土地を公共の用に利用することになっているから、上告人らの借地申出を受けるわけにはいかない、というのである。
以上の被上告人の主張及び原判決の認定によれば、要するに、上告人らの多くの者は接収不動産法所定の借地申出権を有するものであり、かつ現実になされた被上告人国に対する借地申出は有効なものであったが、被上告人国が本件接収地内の土地を公園や住宅建設等の公共の用に供する予定であるから、そこに借地権の設定を認めるわけにはいかない、ということに尽きるものである。
2 ところで、接収不動産法所定の借地申出権は、接収が解除された際、接収者たる旧借地人に旧借地権を回復させようとするものであることは前に述べたとおりであり、これが財産権(借地申出権は一種の形成権であり、また潜在的な借地権と言いうる)であることは何らの疑いもない。
以上に述べたとおりであるとすると、被上告人国の上告人らに対する本件借地申出の拒絶は、結局上告人らの私権たる財産権を何らの補償もなしに公共のために取り上げることと同じに帰する。こうした措置が憲法二九条の財産権の補償規定に触れるものであることは明らかである。
3 ところで、接収不動産法第三条四項には「正当な事由」がある場合に地主の申出拒絶権が規定されており、右正当事由の存否についての一般的な検討事項が、「土地所有者及び借地申出人がそれぞれその土地の使用を必要とする程度如何は勿論のこと、双方の側に存するその諸般の事情」であるとしても土地所有者たる国が当該土地を専ら公共の用に供するため旧借地権者の借地申出権を消滅させるものであるときは、申出拒絶の正当事由の存在のほか、憲法二九条の要請によって補償を必要とするというべきである。したがって、かりに上告人らの本件借地申出を拒絶するのであれば、被上告人は相当の補償をなすべきであり、また逆に本件申出を拒絶された上告人らには相当の補償請求権が存在するというべきである。
4 そして後述のとおり上告人らには接収不動産法によるほか憲法二九条三項、国有財産法等に基づいて損失補償請求権が存するのであるが、接収不動産法の解釈としても、被上告人に借地権設定を拒絶する正当事由ありとすれば、被上告人の正当事由を補強する為の正当事由補強金の申出が必要であり、かりに被上告人の右申出がない場合には正当事由が存しないとするか、裁判所において借地権相当額の正当事由補強金の支払を命ずることが必要なのである。
5 以上のとおりであるから、何らの補償もなしに上告人らの申出を拒絶した被上告人国の措置を適法とした原判決の判断には、接収不動産法第三条四項の解釈につき誤りが存するとともに、憲法二九条にも反するものであって、原判決は変更を免れないものである。
第二点損失補償をすることなくなした被上告人の借地申出拒絶に「正当事由」を認めたことについての法令解釈の誤りについて
一 原判決の法令の解釈の誤り
被上告人は、本件上告人らの借地申出に対し、接収返還地を公園その他の公用地として使用する予定であるとの一事をもって、これを拒絶したものである。しかし、かかる場合に接収不動産法第三条四項所定の「正当事由」を認めるについては、最小限借地申出人に対する借地権喪失の損失補償が必要とされるところである。
原判決が、損失補償をすることなくしてなした被上告人の借地申出拒絶について、これに「正当事由」ありとした判断は結局において接収不動産法第三条四項及び憲法二九条三項あるいは国有財産法第二四条二項の解釈を誤ったものであり、この誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れないものである。
二 憲法第二九条三項について
(一) 憲法第二九条三項は私有財産は正当な補償の下にこれを公共のために用いることができると定めている。そして憲法第二九条三項は公共のために用いる目的で適法行為により私有財産権に制限を加えた場合、当該私人に対しその生じた損失を補償することを定めた規定であり、その損失補償については実定法に具体的補償規定を欠く場合であっても、直接憲法第二九条三項に基づいて国に対し、損失補償を請求しうるものであるとすることは通説・判例の説くところである。(昭和四三年一一月二七日、大法廷判決、昭和五〇年三月一三日第一小法廷判決)
(二) ところで、本件において被上告人が本件各土地を公共のために用いることを理由として上告人らの借地申出を拒絶していることは明らかである。即ち、被上告人は本件各土地について、「新本牧地区については、国有財産中央審議会等の、「国有地は国民の福祉に役立つ公用・公共用に優先的に充てることを原則とし、できるだけ住民の意思を反映させ地域の再開発、住民福祉の向上に資するよう配慮する。新本牧地区は土地の区画整理を行い国有地の集約化を図り都市再開発の用に充てる。」との答申を踏まえ、道路、上下水道等まちの基盤を整備するため、横浜市長施行による土地区画整理事業(新本牧地区土地区画整理事業、以下「本件事業」という。)が行われることとなった。」と主張し、さらに「本件事業及び本件建築協定によれば、換地後の国有地については、その大部分が前記区分のうちの「その他の地区」に、一部分が「表通り地区」及び「集合住宅」に属することとなっており、したがって、換地後の国有地の具体的利用計画においても、その大部分が住宅以外の用途、例えば、公園、緑地、学校、下水処理施設等とされ、残りの部分が公務員宿舎、公団住宅等の共同住宅とされている。」と主張している。(第一審判決事実摘示)
被上告人の右主張は接収不動産法三条四項所定の「正当の事由」について主張されているものではあるが、右の本件各土地の大部分が住宅以外の用途、例えば、公園、緑地、学校、下水処理施設等とされ、残りの部分も公務員宿舎、公団住宅等の共同住宅とされるとの主張が、本件各土地を公共の為に使用する必要があるとするもので、あることは明らかである。
(三) 原判決は接収不動産法三条四項所定の正当の事由の存否について右の判断をしているのであるが、普通財産の所有者である国と私人の借地人との賃貸借関係に無原則かつ安易に私人間の利害の調整機能である「正当事由の有無」を持込み、公共の用に供する必要があることをもって正当事由とすることは原則として許されるべきではない。しかしかりに公共のために用いる必要が生じたことを土地賃借権の設定ないし継続の拒絶事由とするのであれば「憲法第二九条三項に基づき少くとも損失補償をなすべきものである。
(四) 実定法上の具体的補償規定を欠く場合であっても、直接憲法第二九条三項に基づいて補償請求ができることは前に述べたとおりであるが、国有財産法第二四条一項は普通財産を貸し付けた場合において、その貸付期間中に、公共用、公用又は国の企業等のために必要が生じたときは契約を解除することができると定め、第二項はこの場合借受人はこれによって生じた損害につき補償を求めることができると定めている。本件においては、被上告人国の申出拒否によって被った上告人の各損失につき、右法条によっても補償を求めることができるのである。
国有財産法第二一条一項二号は土地について三〇年以下の期間をもって貸し付けることができると定め、第二項は同じ期間内で更新することができると定めている。建物所有を目的とする借地権について更新が原則とされるべきであることは明らかである。したがって更新が前提となっている賃貸借契約においては、契約期間中の解除はもとより、期間満了時に解約を申し入れる場合も、その解除理由が公共の用に供することを理由どする場合には貸付期間中の契約の解除と同視し、損失の補償をすべきものである。
(五) ところで、上告人らが接収不動産法に基づいて借地権の申出をなした時点では、上告人らの接収以前の借地権の期間はおおかた終了していたものと考えられる。しかし接収不動産法が旧借地権者に借地権の設定申し出権を定めているその法意は、接収が終わった段階で旧借地人に原状回復の措置をはかり、接収中に契約期間の経過した借地権を回復させようとするものであって、旧借地権と新借地権は事実上借地期間が連続ないし継続することになるのである。したがって接収不動産法第三条四項に所定の正当事由の主張による拒絶は賃借期間中の解除と同視すべきものであり、これによって借地権の連続を拒絶する場合には、国有財産法第二四条が適用又は準用されるべきものである。
以上述べたとおり、国と私人間の法律関係においては公共の用に供することを正当事由の判断に加えるべきではないが、かりに公共の用に供することのみをもって借地権の設定を拒絶したとするのであれば、憲法第二九条三項あるいは国有財産法第二四条二項に基づき損失補償をなすべきものである。
第三点損失補償請求却下についての法令解釈の誤りについて
一 原判決は上告人らが原審における予備的請求として損失補償請求を追加したのに対し、訴えを却下するとの判断をなした。しかしながら右の原判決の判示は行政事件訴訟法(以下行訴法と称す)一六条一項、一九条一項、四一条二項、民事訴訟法二三二条の解釈を誤り、ひいては憲法二九条三項に定める損失補償請求権の行使を不能ならしめたものであって一法令解釈の違背のほか憲法にも違反するものであって、破棄を免れない。
二 原判決が訴えを却下するにあたってその理由とするところは概ね左のとおりである。
1 損失補償請求権は公法上の請求権であるから通常の民事訴訟ではなく、行訴法四条後段にいう実質的当事者訴訟であり、一方接収不動産法三条に基づく借地権確認の請求は通常の民事訴訟であって訴訟手続を異にする。従って同種の訴訟手続についての規定である民事訴訟法二三二条は本件に適用がない。
2 行訴法四一条二項は同法一六条一項を準用しているが、右は原告が当初から取消訴訟に被告に対する関連請求に係る訴えを併合して提起する場合に関するものであり、訴えの追加の場合に関する規定ではない。
3 行訴法四一条二項は同法一九条一項を準用しているが、右は行政訴訟が係属している場合に、それとの関連請求に係る訴えを追加して併合しうる旨を明らかにしたにとどまり、逆に民事訴訟法が係属している場合に行政訴訟を追加して併合することを認めた規定ではない。
しかしながら原判決の右のいずれの判示も合理的及び実質的理由を欠く形式論にすぎないものであって、原判決の引用する各法条の解釈を誤ったものである。
三 行政訴訟と民事訴訟の併合審理について
1 従来の裁判例では予防接種ワクチン禍訴訟における国家賠償請求訴訟に損失補償請求訴訟を予備的追加的に併合して審理できるか否かについて判断が分かれているが、左記のとおり積極説がむしろ多数なのである。又借地権確認請求事件において、その請求が認められないときは予備的に損失補償請求をなすとした事案でもその請求の併合自体は認められているのである。
イ 東京地裁判決 判例時報一一一八号二八頁
ロ 名古屋地裁判決 判例時報一一七五号三頁
ハ 大阪地裁判決 判例時報一二五五号四五頁
ニ 東京高裁判決 訟務月報二九巻一号三六頁
2 右一連の判決の中においては、名古屋地裁は最も理を尽くした議論をし、国家賠償請求訴訟への損失補償請求訴訟の予備的追加的併合を認めている。
即ち右事件における原告らの請求は、予防接種という一つの事実から発生した損害について、法的構成として国家賠償請求を行い、あるいは損失補償を求めるということになるのであり、損失補償を予備的追加的に併合請求したのであるが、右名古屋地裁判決は、右二つの請求の関係について、まず一般論として、「要するに本件損失補償請求は違法無過失の公権力行使に基づく損失補償請求に他ならないと解されるところ、かかる法分野は公法、私法の交錯する新たな法分野、ないし伝統的な概念による公法、私法が接する限界上の未開拓の法領域であり、その法律関係を敢えていずれかに載然と区分することは不可能であり、その意味にも乏しいと考えられる」と述べる。
さらに予防接種法に基づく行政上の救済措置も、その給付額は損益相殺または実質上の一部弁済として取扱われることになる、としたうえ、
「本件損失補償請求権が私法上の権利といい得る側面をも有していることは否定できないものと認められ、結局右請求を民事訴訟手続によるか、行政事件訴訟手続によるかという選択は、本件のように公私法領域が深く交錯する特殊な事案の場合にはこれを原告が行っても差し支えないものと解すべく、たまたま原告が前者を選択したことのために損失補償の有無という訴訟上の争点に関する審判を受けられないとするのは明らかに相当ではない。」とした。
さらに、単純な金銭請求である場合には、行政事件訴訟手続上の特殊性もそれ程考慮する必要がないことを判示し、
「単純な金銭の給付請求である損失補償請求は、これが実質的当事者訴訟であるとしても損害賠償請求事件と密接な関連性を有するものであり、行政訴訟法一六条一項の規定は、当初係属している行政訴訟に民事訴訟を併合する場合のみならず、当初係属している民事訴訟に実質的当事者訴訟たる行政訴訟を併合する場合にも準用されるものと解すべきであるから、本件損失補償請求を民事訴訟手続に併合審理することは何ら不適当ではないものと認められるものである。」とした。
右の判示中、主位的請求の「損害賠償請求」とある部分を、「借地権確認請求」とし行訴法一六条一項を民事訴訟法二三二条又は行訴法一九条一項とすれば、右判示はそのまま本件に当て嵌まるものであり、また妥当するものである。
3 かりに原判決が、民事訴訟と行政訴訟の併合審理について、札幌高裁昭和六一年七月三一日判決(判例時報一二〇八号四九頁)と同じく、民事訴訟に行政訴訟を併合すること自体を手続的理由等から否定する趣旨であるとすれば判例にも反するものである。最高裁は国家賠償請求訴訟と損失補償の併合審理を従来から認めており(最高裁判決昭和四七年五月三〇日、判例時報六七八号三三頁)、従来から右両者の単純な併合提起のみならず、国家賠償請求訴訟に損失補償を予備的追加的に併合審理することを認めて来たのである右は両訴訟の併合について法律手続上の制約が存しない事実を明らかにするものでもある。即ち前記札幌高裁判決は民事訴訟に行政訴訟を予備的追加的に併合できない理由として、行訴法上当事者訴訟には行政庁の訴訟参加(二二条)、職権証拠調(二四条)、取消判決の拘束力(三三条一項)等の準用があること、行政訴訟を中心として関連請求の移送、併合等の規定を設けており、民事訴訟を主として行政訴訟を従とすることは出来ないとも判示するが、右各規定は形式的当事者訴訟に準用があるとしても、実質的当事者訴訟には職権証拠調の規定以外に準用される規定がなく、手続的には行政訴訟と民事訴訟を併合審理することに何らの妨げもないことは明らかである。結局損失補償請求訴訟を国家賠償請求訴訟や本件のごとき借地権確認請求訴訟と併合審理することは、当初からの併合であれ、予備的追加的な併合であれ、訴訟手続上の問題はほとんど存しないのであり、最高裁が右をことさら問題としたことがないのも右の事情からなのである。
4 結局原判決や前記札幌高裁判決は行政訴訟と民事訴訟の概念的区別にこだわり実質的紛争解決に背を向け、裁判所の役割を放棄するものといわざるを得ない。
イ そもそも私法と公法の実体的区別についても批判的学説が多数である。私法と公法の区別は独仏のような行政裁判所と司法裁判所の二元的裁判制度のもとで裁判管轄権の区別と一体となって発達したものである。第二次大戦後司法裁判所一元制度をとるわが国では右の区別は本来必要に乏しいものとなったのである。原判決のように私法と公法の区別を概念的に行い、さらに行訴法の条文解釈に没入する態度は本末転倒なのである。
ロ さらに損失補償請求権を実質的当事者訴訟に分類することも、右が行訴法の形式的条文解釈との関連で主張されるとすれば失当である。右の分類は土地収用法一三三条等の規定が形式的当事者訴訟に分類されること等との対応上なされると思われるが、実質的当事者訴訟の規定自体が不明確なものであり、立法者自身が実質的当事者訴訟の具体的内容を明確に予定しておらず、制定時から実質の乏しい規定であったことは周知の事実である。又公法と私法の分類方法によっては、憲法二九条三項に基づく損失補償請求訴訟については実質的当事者訴訟ではないと考えることになると思われる有力説も多数存するのである。
(例えば雄川一郎説では請求が実質的に公法関係と直接の関連を有するか否かをもって公法と私法を区分するとされるが、右の基準によれば予防接種禍や本件のような場合には行政行為とは直接の関係がないことが明らかであり、民事訴訟となる筈である。)
6 このように原判決や前記札幌高裁判決が公法と私法の区別を形式的概念的に区分し、かつ行訴法の条文を形式的に適用することが行訴法の解釈を誤ったものであることは明らかである。前記名古屋地裁判決の判示こそ法の正しい解釈なのである。
ところで最高裁が憲法二九条三項に基づいて国に対し直接損失補償請求をなしうると判決したのは、行政事件訴訟法が制定施行された昭和三七年より後の昭和四〇年代以降のことである。(昭和四三年一一月二七日大法廷判決、昭和五〇年三月一二日 第一小法廷判決)
右のような解釈は、法の制定当初に予定もしていなかったのであり、損失補償を請求する具体的方法としては民事訴訟及び行政訴訟の合理的解釈によるのが当然である。現に損失補償を請求するものは一次的には国家賠償を請求したりあるいは本件のように国に借地権設定を請求したりするのであるが、審理の途中で主位的請求について請求棄却の可能性が予想されることにより、あるいは一審で請求を棄却された後、同一の社会的事実に基づき損失補償請求を予備的追加的にするのが常であろう。右を当初から併合して提訴する以外に予備的追加的な併合は認められないとしたり、あるいは手続上当初から別訴によることを要するとするのは国民に二重の法手続や二重の金銭的負担を強いるものであるし、国民の権利の救済を放棄するものである。
7 結局少くとも憲法二九条三項に基づく損失補償請求については当初からの請求の併合も、又事実審における予備的追加的併合も認めるのが相当であり、適用される条文は、損失補償を実質的当事者訴訟と解する場合でも民法二三二条とされるべきである。因みに行訴法一九条一項では主観的予備的併合も可能とされているが、民事訴訟法二三二条は請求の基礎の同一性を要件として従来の証拠調等の結果を利用しつつ同一当事者間で訴えの変更を認めるのであり、国家賠償請求訴訟や借地権確認訴訟に損失補償請求訴訟を予備的に追加的する場合に何の問題もないのである。又行訴法一六条二項や一九条二項には控訴審での追加的予備的追加には行政庁の同意を要するとの条項があるが、本件や予防接種禍訴訟においては行政庁に手続上の不利益がないことが明らかであり、同意を要件とすべきではなく、民事訴訟法二三二条が準用されるべきである。
以上
第一審(横浜地裁 昭和五九年(ワ)第六一四号、二五七号、二四五六号、三〇七七号 昭和六三年一〇月二八日判決)
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告と各原告との間において、各原告が、各原告に対応する別紙借地権目録「土地の表示」欄記載の土地について、原告橋本右近衛、同太田健一郎、同石田初枝、同伊藤弥一郎、同鶴山礼保及び同成川五郎においてはそれぞれ昭和五九年四月八日から、その余の各原告においてはそれぞれ同年一月五日から、いずれも期間二〇年の借地権を有することを確認する。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 被告は、別紙借地権目録「国の所有権取得時期」欄記載の日時(昭和二二年二月から同四四年三月にかけて)に、同目録「土地の表示」欄記載の各土地のうち同目録「借地の面積」欄記載の範囲(以下、総称して「本件各土地」といい、各個別の土地は、「本件土地」の次に同目録記載の原告番号を付して表示する。)の所有権を、物納または売買により取得した。
2 各原告(但し、後記4記載の各原告はその被相続人、以下、総称して「原告ら」という刀)は、本件各土地につき、昭和二〇年から翌二一年にかけて、建物所有の目的で、別紙借地権目録記載のとおりの内容の各借地権を有していた。
3 昭和二〇年五月二九日、アメリカ合衆国軍の空襲(以下、「横浜空襲」という。)により、本件各土地上にあつたほんどの建物は罹災焼失し、その後本件各土地は、同年八月ころから翌二一年夏ころにかけて、アメリカ合衆国軍隊に接収された(以下、「本件接収」という。)。
4 原告太田健一郎は、昭和二〇年五月二九日、相続により本件土地二八の借地人たる地位を承継し、また、別紙借地権目録「旧借地人」欄に「死亡時期」の記載のある各原告は、本件接収後、同「死亡時期」欄記載の日時に、相続により、右各原告に対応する「旧借地人」欄記載の各被相続人から本件各土地の借地人たる地位を承継した。
5 昭和五七年三月三一日本件各土地は接収解除により米軍から被告に返還され、同五八年一〇月一三日接収不動産に関する借地借家臨時処理法(「以下、「接収不動産法」という。)による接収解除の公告がなされた。
6 原告西山浅次郎、同平錦重雄、同井口万次郎、同浦野紀章、同宇野清、同岩川太郎(但し、本件土地二二のうち小港町二丁目八四番の土地の一部一六五・二五平方メートルについて)及び同鶴山礼保を除く原告らは、借地期間中に、前記のとおり罹災したのであるから、罹災都市借地借家臨時処理法(以下、「罹災都市法」という。)一〇条の適用を受け、昭和二六年六月三〇日以内に土地について権利を取得した第三者に対抗しうるところ、本件各土地はいずれも右期間内に接収されたのであるから、いずれも接収不動産法三条五項り「接収時において第三者に対抗することのできない借地権」には該らないのであり、同条一項ないし二項により、接収解除の公告後六か月以内に借地の申出をすれば、優先的に右土地を賃借することができるものである。また、前記原告西山、同平綿、同井口、同浦野、同宇野、同岩川及び同鶴山は、前記罹災後に、別紙借地権目録「土地の表示」欄記載の右原告らに対応する本件各土地を借地したが、その後極めて短時日のうちに接収を受けたのであるから、同様に接収不動産法三条の適用がある。
そこで、原告金鐘元、同橋本右近衛、同太田健一郎、同石田初枝、同伊藤弥一郎、同鶴山礼保及び同成川五郎を除く各原告は昭和五九年一月四日に、原告金鐘元は同五八年一一月一一日に、前記原告橋本、同太田、同石田、同伊藤、同鶴山及び同成川は同五九年四月七日に、それぞれ到達した書面により被告に対し、本件各土地につき接収不動産法による借地の申出をなしたが、被告は、右各申出に対し、それぞれ、同年一月一四日、同五八年一二月一三日及び同五九年四月一四日に、すべて拒絶した。
7 よつて、各原告は被告に対し、請求の趣旨記載のとおり本件各土地についての借地権の確認を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実を認める。
2 同2の事実はすべて不知。
被告は、本件各土地を旧地主からいずれも更地として取得したのであるから、遅くとも被告が本件各土地を取得する際には原告らは借地権を有してはいなかつた。
3 同3のうち、昭和二〇年五月二九日に横浜空襲があつたこと、本件各土地について本件接収がなされたことを認め、その余は不知。
4 同4の原告らの相続関係については不知。相続により各原告が本件各土地の借地権ないし借地申出権を取得したことを否認する。
5 同5の事実を認める。
6 同6のうち、前段の原告らの法律関係の主張を争う。
後段のうち、原告池田春江、同石田恭子、同小嶋弘、同小嶋正、同松永敏子が被告に対し本件土地二、五、一〇につき接収不動産法による借地の申出をなしたこと並びに原告金鐘元の借地申出の日、昭和五九年一月四日の借地申出に対する被告の拒絶の日、原告鶴山礼保の借地申出の日とこれに対する被告の拒絶の日をいずれも否認し、その余を認める。
原告金鐘元の右借地申出の日は昭和五八年一二月六日で、これに対する被告の拒絶の日は同月一五日であり、昭和五九年一月四日の右借地申出に対する被告の拒絶の日は同年一月一七日であり、原告鶴山の借地申出は同年四月一一日でこれに対する被告の拒絶の日は同月一八日である。
三 抗弁
(接収不動産法三条四項による借地申出拒絶の正当事由)
1 本件各土地の利用計画
(一) 本件各土地を含む横浜海浜住宅地区跡地(以下、「新本牧地区」という。)は、終戦直後から約四〇年に亘りアメリカ合衆国軍隊により接収されていたため、原状回復によることとした場合には、終戦直後当時の、公共施設(道路、公園、下水道等)、公益施設(学校、消防等)が整つていない無秩序な状態が出現し、そのため、生活環境施設が著しく不備となり防災、保安、衛生上危険な状態が作出されることになるうえに、土地利用が著しく制限され、また、不規則かつ不整形に飛び地となつて散在する国有地の有機的かつ効率的な利用を計ることも困難となる。
(二) そこで、前記新本牧地区については、国有財産中央審議会等の、「国有地は国民の福祉に役立つ公用・公共用に優先的に充てることを原則とし、できるだけ住民の意思を反映させ地域の再開発、住民福祉の向上に資するよう配慮する。新本牧地区は土地の区画整理を行い国有地の集約化を図り都市再開発の用に充てる。」との答申を踏まえ、道路、上下水道等まちの基盤を整備するため、横浜市長施行による土地区画整理事業(新本牧地区土地区画整理事業、以下、「本件事業」という。)が行われることとなった。
また、同時に、右地区内に建設される建築物についても、横浜市が中心となつて建築協定(「新本牧地区建築協定」、以下、「本件建築協定」という。)が締結され、右協定によれば、右地区は、センター地区、表通り地区、低層住宅地区、集合住宅地区、サービス工場地区、その他の地区に区分され、右各地域区分ごとに建築物の制限を設け、まちの利便性と環境を高度に維持増進しようとしている。
(三) 本件事業及び本件建築協定によれば、換地後の国有地については、その大部分が前記区分のうちの「その他の地区」に、一部分が「表通り地区」及び「集合住宅地区」に属することとなつており、したがつて、換地後の国有地の具体的利用計画においても、その大部分が住宅以外の用途、例えば、公園、緑地、学校、下水処理施設等とされ、残りの部分が公務員宿舎、公団住宅等の共同住宅とされている。
2 本件事業の進捗状況
(一) 国有財産中央審議会の答申を踏まえて、神奈川県知事は、昭和五三年五月三〇日新本牧地区につき、本件事業にかかる都市計画を決定した。
(二) 横浜市長は、財団法人国土計画協会新本牧地区土地利用計画検討委員会の報告を受け、本件事業の施行者として昭和五七年一月二五日本件事業の事業計画を決定し、同年一一月二〇日から右事業の工事に着手した。
(三) 本件建築協定は、被告を含めた約四〇〇名の新本牧地区土地所有者全員の合意のうえで締結され、右協定は、昭和五七年八月五日横浜市長の認可を受けた。
(四) 昭和五九年三月一日から同月一六日までの間、換地計画が公衆の縦覧に供された。
(五) 現在、既に仮換地の指定がなされ、建築が開始された部分を相当程度あり、最終的に換地処分がなされ本件事業が終了するのは昭和六四年三月三一日の予定となつている。
3 各原告の本件各土地利用の必要性については、各原告は現在土地家屋を所有し、又は、借地をしているものの持家に居住している者がほとんどであつて、借家住まいの者は原告下氏、同宇野、同石田マツ、同石田〔ただ〕宏、同鶴山、同成川の六名にすぎず、右借家住いの者も含めて各原告の生活状況は安定しており、本件各土地利用の必要度は低い。
4 以上のとおり、各原告が本件各土地を住居として使用することは、本件事業の事業計画に反することになつて適切ではなく、被告が各原告の借地申出を拒絶することには正当な事由がある。
四 抗弁に対する認否及び反論
1 正当事由が存在を争う。
(一) 被告は、本件各土地を含む本牧地区一帯には戦前から数千重帯の住宅が存在し、その住宅地のかなりの部分が借地であつたこと、そしてそれら借地上にあつた建物が横浜空襲で罹災したことについて、最もよく知る立場にあつたにも拘わらず、昭和四八年以降の本件事業計画策定の過程において、元借地人に対する配慮を怠つた。右は被告側における「正当事由」の減殺事由となる。
(二) 各原告が主張する借地面積は、被告が所有する本牧地区国有地四三万二〇〇〇平方メートルのうちのわずか四パーセントにすぎず、各原告主張の右面積部分につき、これを本件協定における低層住宅地区に組入れて各原告の住宅に供しても、何ら本件事業を損なうことにはならず、本件事業と各原告の借地権の保護との調整は十分に可能である。
(三) 各原告は、前記接収により、その生活の本拠を失つたが、それに対する補償は何らなされていない。
2 各原告の本件各土地賃借を必要とする事情<略>
第三証拠<省略>
理由
一 本件各土地の所有関係について
請求原因1の事実は当事者間に争いがない。
二 原告らの借地権の存否(請求原因2及び4)及び本件各土地の接収について
1 原告小泉進吾、同小泉セイ
<証拠 略>によれば、原告小泉進吾の父小泉智海は、大正のころ本件土地一を須藤半三から借地し、同地上に四軒の貸家を所有していたこと、その後原告小泉進吾が養子とともに同所に居住していたが横浜空襲により罹災したこと、その間の昭和一六年七月一三日小泉智海は死亡し、原告小泉進吾が家督相続により本件土地一の借地権を承継したこと、右罹災後も同原告は右土地の地代を支払つていたこと、本件土地一は昭和二一年六月ころ接収されたことの各事実が認められ、右事実によると、本件接収時において本件土地一につき原告小泉進吾が借地権を有していたことを推認することができる。
なお、<証拠 略>によれば、小泉智海の妻原告小泉セイは昭和六〇年二月一二日に死亡したことが認められる。
2 原告池田春江、同池田典次
<証拠 略>によれば、原告池田春江の夫であり、同池田典次の父である池田武雄は、昭和の始めころ本件土地二を原富太郎及び原寿枝から借地し、右土地上に木造亜鉛及びスレート葺平家建居宅(七〇坪三合八勺)を所有して居住していたこと、その後横浜空襲により罹災したが、右池田武雄は引続き同土地の地代を支払つていたこと、本件土地二は昭和二二年四月ころ接収されたことの各事実が認められ、右事実によると、本件接収時において本件土地二につき同人が借地権を有していたことを推認することができる。
また、<証拠 略>によれば、右池田武雄は昭和五四年七月二五日に、原告池田春江は同五九年七月三日にそれぞれ死亡し、相続により、原告池田典次が同土地の借地権を承継し、或いは接収不動産法所定の借地申出権を取得したことが認められる。
3 原告織戸多喜雄
<証拠 略>によれば、同原告の父織戸瀧之亟は、大正一四年四月二一日本件土地三を石田正二から借地し、右土地上に木造平家建住宅(二八坪、その後増築されて建坪は約四二坪となつた。)を所有して同原告外とともに居住していたこと、右織戸瀧之亟は昭和二〇年一月二二日に死亡し、同原告が家督相続により右借地権を承継して家族とともに右建物に居住していたこと、その後横浜空襲により罹災したこと、本件土地三は昭和二二年ころ接収されたことの各事実が認められ、右事実によると、本件接収時において本件土地三につき同原告が借地権を有していたことを推認することができる。
4 原告黄禮祥
<証拠 略>によれば、同原告の父黄遠光は大正九年多聞院から本件土地四を借地し、右土地上に建物を建築して中華料理店を経営していたこと、昭和八年一二月に右黄遠光が死亡した後は同原告が家業を引き継いで右土地上の建物(昭和一一年に新築、木造亜鉛葺平家建、建坪一八坪、但し、その所有名義は同原告の兄)に居住したこと、地代は同原告が支払つていたこと、横浜空襲で右建物は焼失し、本件土地四は昭和二〇年九月ころ接収されたことの各事実が認められ、右事実によると本件接収時において本件土地四につき同原告が借地権を有していたことを推認することができる。
5 原告石田静江、同石田恭子
<証拠 略>によれば、同原告らの被相続人石田龍夫の父石田友吉は大正一三年ころ石田吉蔵から本件土地五(但し、その面積は約八〇坪である。)を借地し、右土地上に建物を建築(二戸建長屋、その後改築一戸建)して居住していたこと、昭和一八年六月四日石田龍夫が同土地の借地権を家督相続により取得したこと、その後横浜空襲により右建物は焼失し、本件土地五は昭和二二年三月ころ接収されたこと、本件接収後の昭和四三年九月八日石田龍夫は死亡し、同原告らが相続により右土地の借地権を承継したことの各事実が認められ、右事実によると、本件接収時において本件土地五につき右石田龍夫が借地権を有していたことを推認することができる。
6 原告高橋文男
<証拠 略>によれば、同原告の父高橋仙藏は昭和五年ころ原善一郎から本件土地六を借地し、右土地上に建物を建築してそば屋を経営していたこと、右高橋仙藏は同建物に家族とともに居住していたところ横浜空襲で罹災し、本件土地六は昭和二〇年一二月ころ接収されたことの各事実が認められ、右事実によると、本件接収時において本件土地六につき同人が借地権を有していたことを推認することができる。
また、<証拠 略>によれば、右高橋仙藏は昭和二七年一二月二二日死亡し、原告高橋文男が右土地の借地権を相続により承継したことが認められる。
7 原告忍足喜久江
<証拠 略>によれば、同原告の父忍足發は昭和一五年ころ天徳寺から本件土地七を借地し、右土地上に建物二棟を建築し、うち一棟に同原告の妹一家が居住し、他の一棟を貸家としていたこと、昭和一六年ころ、同原告は右忍足發から右建物一棟を借地権付で譲受け居住したこと、その後右借地の地代は同原告において支払つていたこと、同原告一家は右建物に居住していたところ、横浜空襲で罹災し、本件土地七は昭和二二年春ころ接収されたことの各事実が認められ、右事実によると、本件接収時において本件土地七につき同原告が借地権を有していたことを推認することができる。
8 原告西山浅次郎
<証拠 略>によれば、同原告の父西山丑太郎は昭和一六年ころ忍足發から本件土地七の上の同人所有の建物を借家していたところ、横浜空襲で罹災したこと、その後昭和二〇年七月ころ右西山丑太郎は橋本陣から本件土地八を借地し、右土地上に簡易住宅を建築して同原告とともに居住していたところ、右土地は昭和二二年五月ころ接収されたことの各事実が認められ、右事実によると、本件接収時において本件土地八につき右西山丑太郎が借地権を有していたことを認めることができる。
また、<証拠 略>によれば、右西山丑太郎は昭和四二年一月二七日に死亡し、同原告が右土地の借地権を相続により承継したことが認められる。
9 原告久保田政吉一
<証拠 略>によれば、同原告の父久保田岩吉は昭和五年ころ本件土地九の上の建物二棟を買い取り、右土地を中村某から借地して右建物に居住していたこと、久保田岩吉は昭和一一年四月一二日に死亡し、同原告が家督相続により右土地の借地権を承継し引き続き同地に居住したこと、その後横浜空襲により罹災し、本件土地九は昭和二二年ころ接収されたことの各事実が認められ、右事実によると、本件接収時において本件土地九につき同原告が借地権を有していたことを推認することができる。
10 原告小嶋儀兵衛、同小嶋弘、同小嶋正、同松永敏子
<証拠 略>によれば、同原告らの被相続人小嶋多吉は大正九年ころ田代某から本件土地一〇を借地して店舗を構え酒類販売業を営んでいたこと、小嶋多吉は、関東大震災後右土地上に木造亜鉛葺二階建建物(店舗兼居宅)を新築し、横浜空襲で罹災するまで同原告らとともに居住していたこと、本件土地一〇は昭和二一年春ころ接収されたことの各事実が認められ、右事実によると、本件接収時において本件土地一〇につき小嶋多吉が借地権を有していたことを推認することができる。
また、<証拠 略>によれば、右小嶋多吉は昭和二六年四月一九日に、同人の妻ナカは同四二年八月一一日にそれぞれ死亡し、同原告らが同土地の借地権を相続(持分各四分の一)により承継したことが認められる。
11 原告大柴晴雄
<証拠 略>によれば、同原告の祖父大柴越次郎は大正七年ころ中村よしから本件土地一一を借地し、右土地において本牧幼稚園を経営していたこと、同土地上には園舎と原告らの住居である建物があつたこと、昭和の始めころ右土地の借地権は原告の父大柴武雄が相続により取得したこと、同原告一家は右建物に居住し幼稚園を経営していたところ、横浜空襲で罹災したこ、と、本件土地一一は昭和二二年ころ接収されたことの各事実が認められ、右事実によると、本件接収時において本件土地一一につき大柴武雄が借地権を有していたことを推認することができる。
また、<証拠 略>によれば、右大柴武雄は昭和四七年一月一七日に、同人の妻布美遠は同四一年一二月一八日にそれぞれ死亡し、同原告が同土地の借地権を相続により承継したことが認められる。
12 原告小川迪
<証拠 略>によれば、同原告の父小川篤弼は昭和七年ころ中村よしから本件土地一二を借地し、右上地上に二階建建物を新築して同原告らとともに居住していたところ、横浜空襲により罹災したこと、昭和二〇年一一月一日小川篤弼は隠居し、同原告が家督相続により同土地の借地権を承継したこと、同原告は同二一年五月ころ右上地上に簡易住宅を建てて居住していたが、右土地は同二二年四月ころ接収されたことの各事実が認められ、右事実によると、本件接収時において本件土地一二につき同原告が借地権を有していたことを認めることができる。
13 原告平綿重雄
<証拠 略>によれば、同原告は昭和一二年ころ渋谷友藏所有の土地の借地人飯田某から右土地上の建物を賃借し居住していたこと、右建物は横浜空襲で焼失したが、同二一年三月ころ、同原告は、右土地の一部である本件土地二二を渋谷友藏の相続人渋谷寿一から借地し、右土地上に木造二階建建物を建築中の同年四月ころ右土地は接収されたことの各事実が認められ、右事実によると、本件接収時において本件土地一三につき同原告が借地権を有していたことを認めることができる。
14 原告井口万次郎
<証拠 略>によれば、同原告は終戦直後の昭和二〇年九月ころ渋谷権藏から本件土地一四のうち中区間門町一丁目一五九番の土地六七五・七三平方メートル(以下、「本件土地一四の一」という。)を借地し、同地上に簡易住宅を建築し居住していたこと、同原告は、更に、同二一年三月一日松崎太郎から本件土地一四のうち中区本牧和田一四一番の二の土地六六一平方メートル(以下、「本件土地一四の二」という。)を借地し、同地上に約七坪七合五勺の建物を建て居住していたこと、本件土地一四の一は同二二年三月ころ、同一四の二は同年五月ころいずれも接収されたことの各事実が認められ、右事実によると、本件接収時において本件土地一四につき同原告が借地権を有していたことを認めることができる。
15 原告本多健二
<証拠 略>によれば、同原告の父本多利八は、昭和一七年七月ころ本件土地一五の上の建物(木造平家建)二棟を島富雄から購入し、同一八年ころ右土地をその所有者鈴木藤藏から借地したこと、右本多利八及び同原告一家は右建物に居住していたところ横浜空襲で罹災したこと、右土地は昭和二一年ころ接収されたことの各事実が認められ、右事実によると、本件接収時において本件土地一五につき本多利八が借地権を有していたことを推認することができる。
また、<証拠 略>によれば、右本多利八は、昭和五五年三月一二日死亡し、同人の相続人間の分割協議により、同原告が右土地の借地権を承継したことが認められる。
16 原告下氏豊子
<証拠 略>によれば、同原告の祖父下氏氏忠は、大正一三年ころ佐久間四郎から本件土地一六を借地し、同地上に三棟の建物を建て、うち一棟に右下氏氏忠及び同原告らが居住(残り二棟は貸家)していたこと、昭和一七年七月四日下氏氏忠は死亡し、同原告の母下氏玉子が家督相続により右土地の借地権を承継したこと、同人及び同原告は引続き前記建物に居住していたところ横浜空襲で罹災し、右土地は昭和二二年九月ころ接収されたことの各事実が認められ、右事実によると、本件接収時において本件土地一六につき下氏玉子が借地権を有していたことを推認することができる。
また、<証拠 略>によれば、右下氏玉子は、昭和四二年四月一四日死亡し、同原告が相続により右土地の借地権を承継したことが認められる。
17 原告若林一夫
<証拠 略>によれば、同原告の父若林角正は、昭和一〇年ころ本件土地一七の上の建物を購入して同土地をその所有者多聞院から借地したこと、右若林角正及び同原告一家は右建物に居住していたところ、横浜空襲で罹災したこと、その後昭和二〇年九月ころ右土地上に簡易住宅を建てて居住していたが、右土地は同二二年四月ころ接収されたことの各事実が認められ、右事実によると、本件接収時において本件土地一七につき若林角正が借地権を有していたことを認めることが
できる。
また、<証拠 略>によれば、右若林角正は、昭和五三年二月九日死亡し、同原告が相続により右土地の借地権を承継したことが認められる。
18 原告浦野紀章
<証拠 略>によれば、同原告は、昭和一八年九月ころ並木憲司から本件土地一八の上の建物を賃借して居住していたこと、右建物は横浜空襲で焼失したため、同二〇年九月ころ右土地をその所有者であつた並木憲司から借地し、同地上に木造亜鉛葺平家建建物を建築中、右建物が完成する直前の昭和二二年四月ころ右土地は接収されたことの各事実が認められ、右事実によると、本件接収時において本件土地一八につき同原告が借地権を有していたことを認めることができる。
19 原告宇野清
<証拠 略>によれば、同原告は、終戦後間もない昭和二〇年九月ころ、本件土地一九を日本造船株式会社から借地し、同地上に木造平家建建物(店舗兼居宅)を建築し、飲食店を経営していたところ、右土地は昭和二二年一月ころ接収されたことが認められ、右事実によると、本件接収時において本件土地一九につき同原告が借地権を有していたことを認めることができる。
20 原告須藤茂雄
<証拠 略>によれば、同原告の父須藤秀雄は、大正九年ころ本件土地二〇を松崎新兵衛から借地して同地上に建物を建てた(その後更に貸家を三棟新築)こと、右須藤秀雄及び同原告らは右建物に居住していたところ、横浜空襲で罹災したこと、その後右土地に簡易住宅を建てて居住していたこと、昭和二二年一月三〇日須藤秀雄は死亡し、同原告が家督相続により同土地の借地権を承継したこと、右土地は同年春ころ接収されたことの各事実が認められ、右事実によると、本件接収時において本件土地二〇につき同原告が借地権を有していたことを認めることができる。
21 原告平岡萬寿彦
<証拠 略>によれば、同原告は、昭和一七年一二月二八日本件土地二一の上の建物(木造瓦葺平家建)を赤坂弘から購入するとともに右土地をその所有者松崎新兵衛から借地したこと、同原告及びその家族は右建物に居住していたところ、横浜空襲で罹災したこと、その後も同原告は右土地が接収されるまで地代の支払をしていたこと、右土地は昭和二二年一月ころ接収されたことの各事実が認められ、右事実によると、本件接収時において本件土地二一につき同原告が借地権を有していたことを認めることができる。
22 原告岩川太郎
<証拠 略>によれば、同原告の母岩川やすは、昭和一三年ころ本件土地二二のうち中区小港町二丁目四六番一及び同番二の各土地(以下、「本件土地二二の一」という。)を朝田二郎から借地し、同地上の建物に同原告とともに居住していたこと、右岩川やすは、右建物が横浜空襲により罹災焼失したため新たに右土地上に簡易住宅を建て、更に昭和二〇年一一月ころ、箕輪半藏から本件土地二二のうち中区小港町二丁目八四番の一部(五〇坪、以下、「本件土地二二の二」という。)を借地し、同地上に木造家屋を建てて居住していたこと、右両土地は昭和二二年九月ころ接収されたことの各事実が認められ、右事実によると、本件接収時において本件土地二二の一及び二につき岩川やすが借地権を有していたことを認めることができる。
また、<証拠 略>によれば、右岩川やすは、昭和三八年一二月五日死亡し、同原告が相続により本件土地二二の借地権を承継したことが認められる。
23 原告金鐘元
<証拠 略>によれば、同原告は、昭和一八年五月本件土地二三の上の建物七棟を有限責任横浜文化住宅組合から購入するとともに同土地をその所有者昭和興業株式会社から借地したこと、右建物の一棟に同原告の父らが居住していた(同原告は横浜市内の他の土地に住んでいた。)ところ、右建物は横浜空襲により焼失したこと、右土地は昭和二二年ころ接収されたことの各事実が認められ、右事実によると、本件接収時において本件土地二三につき同原告が借地権を有していたことを推認するこどができる。
24 原告小嶋泰
<証拠 略>によれば、同原告の父小嶋岩太郎は、昭和八年ころ本件土地二四の上の建物(木造平家建、その後二階建に増築)を廣瀬数治郎から購入するとともに右土地をその所有者であつた原富太郎から借地し、以来小嶋岩太郎及び同原告一家は右建物に居住していたところ、右建物は横浜空襲で焼失したこと「右土地は昭和二二年ころ接収されたことの各事実が認められ、右事実によると、本件接収時において本件土地二四につき小嶋岩太郎が借地権を有していたことを推認することができる。
また、<証拠 略>によれば、右小嶋岩太郎は、昭和四六年三月六日、同人の妻ヒデは同五二年三月二八日それぞれ死亡し、同原告が相続により右土地の借地権を承継したことが認められる。
25 原告大胡幸信
<証拠 略>によれば、同原告の父大胡喜作は、大正三年ころ原富太郎、原善一郎から本件土地二五を借地し、同地に木造二階建病院及び居宅二棟を建築して病院を開業していたこと、右大胡喜作は昭和一六年九月九日に死亡し、同原告が家督相続により右土地の借地権を取得したこと、同原告一家は右建物に居住していたところ、右建物は横浜空襲で焼失したこと、右土地は昭和二一年ころ接収されたことの各事実が認められ、右事実によると、本件接収時において本件土地二五につき同原告が借地権を有していたことを推認することができる。
26 原告北爪川井
<証拠 略>によれば、原告北爪川井は、本件土地二六の上の建物を賃借して居住していたところ、右建物は横浜空襲により焼失したこと、そのため同原告は右土地をその所有者であつた多聞院から借地し、同地上に簡易住宅を建てて居住していたところ、右土地は昭和二二年春ころ接収されたことの各事実が認められ、右事実によると、本件接収時において本件土地二六につき同原告が借地権を有していたことを認めることができる。
27 原告橋本右近衛
<証拠 略>によれば、同原告は、昭和六年ころ浅川泉から本件土地二七の上の建物を賃借し青果業を営んでいたこと、横浜空襲で右建物が焼失したため、同原告は右土地をその所有者であつた多聞院から借地したこと、同原告は、同地上に簡易住宅(八畳間、土間及び物入)を建てて居住していたところ、右土地は昭和二二年春ころ接収されたことの各事実が認められ、右事実によると、本件接収時において本件土地二七につき同原告が借地権を有していたことを認めることができる。
28 原告太田健一郎
<証拠 略>によれば、同原告の父太田千代司は、昭和一〇年三月ころ本件土地二八の上の建物(木造亜鉛葺平家建)を福田幸平から購入するとともに同土地をその所有者であつた須藤半三から借地したこと、以来右太田千代司及び同原告一家は右建物に居住していたところ、右建物は横浜空襲で焼失したこと、右空襲により前記太田千代司は死亡し、同原告が家督相続により右土地の借地権を承継したこと、右土地は昭和二二年ころ接収されたことの各事実が認められ、右事実によると、本件接収時において本件土地二八につき同原告が借地権を有していたことを推認することができる。
29 原告増田貞子
<証拠 略>によれば、同原告の父吉岡鎌祐は、昭和一一年ころ本件土地二九の上の建物を鈴木久子から購入するとともに右土地を同人から借地し、同原告らとともに右建物に居住していたところ、右建物は横浜空襲により焼失したこと、右吉岡鎌祐は昭和二〇年九月ころ右土地に簡易住宅を建て一家で居住していたが、同二一年一一月二九日死亡し、同原告が右土地の借地権を家督相続により承継したこと、右土地は昭和二二年三月ころ接収されたことの各事実が認められ、右事実によると、本件接収時において本件土地二九につき同原告が借地権を有していたことを認めることができる。
30 原告日比三郎
同原告の借地権については、これを認めるに足りる証拠がない。
31 原告石田マツ、同石田〔ただ〕宏
<証拠 略>によれば、石田留次郎は、明治の始めころ本件土地三一を石田源次郎から借地し、右土地上に家を建てて居住していたこと、昭和一四年一〇月一七日右石田留次郎は死亡し、石田清藏が右土地の借地権を家督相続により承継し、同原告らとともに右土地に居住していたこと、同地上にあつた建物は横浜空襲により焼失したこと、同人は右焼失直後に同地上に簡易住宅を建てて居住していたところ、右土地は昭和二一年ころ接収されたことの各事実が認められ、右事実によると、本件接収時において本件土地三一につき石田清藏が借地権を有していたことを認めることができる。
また、<証拠 略>によれば、右石田清藏は、昭和五八年五月三〇日死亡し、同原告らが相続(持分各二分の一)により右土地の借地権を承継し、或いは接収不動産法所定の借地申出権を取得したことが認められる。
32 原告石田初枝
<証拠 略>によれば、同原告は、その父石田和助から昭和七年ころ本件土地三二の上の建物の贈与を受け、同人から右土地を借地したこと、同原告一家は右建物に居住していたところ、右建物は横浜空襲で焼失したこと、右土地は昭和二一年ころ接収されたことの各事実が認められ、右事実によると、本件接収時において本件土地三二につき同原告が借地権を有していたことを推認することができる。
33 原告伊藤弥一郎
<証拠 略>によれば、同原告の母伊藤りんは、昭和九年六月八日伊藤八郎から本件土地三三の上の建物(木造板葺二階建)を購入し、その後右土地をその所有者であつた鬼島忠男から借地したこと、右建物は同原告の義弟である伊藤八郎に賃貸されていたが、横浜空襲により焼失したこと、右土地は昭和二二年ころ接収されたことの各事実が認められ、右事実によると、本件接収時において本件土地三三につき右伊藤りんが借地権を有していたことを推認することができる。
また、<証拠 略>によれば、右伊藤りんは、昭和二九年一二月八日死亡し、同原告が相続により右土地の借地権を承継したことが認められる。
34 原告鶴山礼保
<証拠 略>によれば、同原告は、昭和二〇年一〇月ころ本件土地三四を松崎新太郎から借地し、同地上に建物(未登記、六畳、四・五畳、台所、土間)を建てて居住していたところ右土地は昭和二一年秋ころ接収されたことが認められ、右事実によると、本件接収時において本件土地三四につき同原告が借地権を有していたことを認めることができる。
35 原告成川五郎
<証拠 略>によれば、同原告は、昭和九年ころ石塚タマから本件土地三五の上の建物を購入するとともに右土地をその所有者であつた宗教法人天徳寺から借地したこと、その後右建物に同原告一家で居住していたところ、横浜空襲により右建物は焼失したこと、右土地は昭和二二年ころ接収されたことの各事実が認められ、右事実によると、本件接収時において本件土地三五につき同原告が借地権を有していたことを推認することができる。
三 罹災及び接収(請求原因3)について
昭和二〇年五月二九日横浜空襲があつたこと及び本件各土地がアメリカ合衆国軍隊に接収されたことについてはいずれも当事者間に争いがなく、右空襲によつて本件各土地上の建物が罹災焼失したこと及び本件各土地の右接収時期についてはいずれも前記二に認定したとおり(原告日比三郎についてはこれらを認めるに足りる証拠がない。)である。
四 接収地の返還について
請求原因5の事実は当事者間に争いがない。
五 借地申出(請求原因6)について
1 原告池田春江、同石田恭子、同小嶋正、同小嶋弘及び同松永敏子を除くその余の各原告の借地申出については当事者間に争いがなく、右五名の原告については、同原告らが前記二に認定したとおりいずれも借地権を共有しており、また、右のとおり他の共有借地権者らが借地申出をしたのであるから、以上を総合すれば、同原告らも借地申出をしたことを推認することができる。
2 原告金鐘元及び同鶴山礼保を除くその余の各原告の借地申出の日(昭和五九年一月四日)については当事者間に争いがない。右二名の原告の借地申出の日については争いがあり、これを明確に認めうる証拠はないが、いずれにしても、遅くとも、前者については昭和五八年一二月六日、後者については同五九年四月一一日となるのであり、いずれも接収不動産法三条所定の借地申出期間中のものであるごとが認められる。
3 右各借地の申出に対し被告が拒絶の意思表示をしたことは当事者間に争いがなく、右意思表示をした日については、弁論の全趣旨によれば、それぞれ遅くとも、昭和五九年一月一七日、同五八年一二月一五日、同五九年四月一八日であることが認められる。
4 ところで、接収不動産法三条五項によれば、接収当時において、第三者に対抗できない借地権の場合又は臨時設備その他一時使用のために設定されたことの明らかな借地権の場合には、借地人は同法の保護を受けられないことになる。そこで、以下右の点について判断する。
(一) 前記二によれば、横浜空襲以前から本件各土地を借地していた原告ら(後記(二)の原告ら及び原告日比三郎を除く。)については、右空襲により本件各土地上にあつた各建物がすべて焼失しており、その後接収時まで同地上には、バラック、簡易住宅あるいは建設中の建物などが存在したにすぎないのであるが、罹災都市法一〇条により、横浜空襲により借地上の建物を焼失した借地権者は登記した建物がなくてもその借地権を、昭和二六年六月三〇日までに借地の所有権を取得した第三者に対抗できるものと解すべきところ、本件接収は前記のとおり右同日以前になされているのであるから、右原告らは登記した建物がなくても接収時において第三者に対抗できる借地権を有していたということができる。したがつて、右原告らの借地権には接収不動産法三条の適用がある。
(二) 前記二のとおり、原告西山浅次郎、同平綿重雄、同井口万次郎、同浦野紀章、同宇野清、同北爪川井、同橋本右近衛及び同鶴山礼保については、いずれも横浜空襲後に借地しており、本件接収時においては借地上に建物がなかつたか、あつたとしてもその建物につき登記がなされていた事実を認めるに足りる証拠がないから、罹災都市法、建物保護法による対抗要件を具備したものとはいえず、右各原告については、接収不動産法による保護を受けることはできないものといわざるを得ない。
また、原告岩川太郎についても、本件土地二二の二については、右と同様の理由により接収不動産法の適用はないことになる。
六 借地申出拒絶の正当事由(抗弁)について
1 各原告の事情
(以下の判示においては、各原告に関する前記「第二当事者の主張四抗弁に対する認否及び反論2各原告の事情」記載の事実を「原告の事情」と表示する。)
(一) 原告小泉進吾
<証拠 略>によれば、原告の事情(一)(1) 及び(2) の事実が認められるほか、現在同原告の居住する土地(同原告の子信之所有名義)の面積は約七五坪、建物(同原告所有名義)の建坪は約三五坪であること、右建物に同原告夫婦が居住し、同原告の子は鎌倉に建物を所有し独立して生活していることの各事実が認められる。
(二) 原告池田典次
<証拠 略>によれば、原告の事情(二)(1) ないし(2) の事実が認められるほか、現在同原告の居住する土地の面積は約一四六・一五坪(うち六七・五七坪は昭和五九年に買取り同原告所有名義である。)であることが認められる。
(三) 原告織戸多喜雄
<証拠 略>によれば、原告の事情(三)(1) 及び(2) の事実が認められるほか、同原告は昭和二一年ころから肩書所在地に借家していたが、同三九年に右建物を買い取つたこと(敷地は借地)、現在の右建物の建坪は約二三坪、敷地は約三〇坪であること、同原告は夫婦二人暮し(三人の子はそれぞれ独立)であるが、将来は娘一家(四人)との同居を希望しているところ、現在の住居では古く、また狭いことの各事実が認められる。
(四) 原告黄禮祥
<証拠 略>によれば、原告の事情(四)(1) ないし(3) の事実が認められるほか、同原告は肩書住所地に昭和二〇年一〇月ころから居住していること、右土地は借地でその面積は約四九坪であること、建物は同原告の所有であることの各事実が認められる。
(五) 原告石田静江、同石田恭子
<証拠 略>によれば、原告の事情(五)(1) ないし(3) の事実が認められる。
(六)原告高橋文男
<証拠 略>によれば、原告の事情(六)(1) ないし(3) の事実が認められる。
(七) 原告忍足喜久江
<証拠 略>によれば、原告の事情(七)(1) ないし(3) の事実が認められるほか、同原告の肩書住所地の土地の面積は約一五〇坪(同原告ないし同原告の長男所有名義)であり、同地上には建坪二〇坪の建物(右長男所有名義があり長男一家が居住している。)とアパート二棟(右長男ないし同原告所有名義、その一室に同原告が居住している。)があることが認められる。
(八) 原告久保田政吉
<証拠 略>によれば、概ね原告の事情(九)(1) ないし(3) の事実が認められるほか、同原告の肩書地の土地(転借地)については、賃借人である隣家から転借権の買取方の申出がなされていること、右土地上の建物は昭和三〇年に購入し、同四三年に建直したものであること、現在同原告は妻との二人暮しであることの各事実が認められる。
(九) 原告小嶋儀兵衛、同小嶋弘、同小嶋正、同松永敏子
<証拠 略>によれば、原告の事情(一〇)(1) 及び(2) の事実が認められるほか、原告小嶋儀兵衛の肩書住所の土地(同原告所有名義)は一一七坪あり、同地上の建物(建坪約四二坪)に一家六人で居住していること、原告松永敏子の肩書住所の土地は約二〇坪で、同地上の建物に一家六人で暮していることの各事実が認められる。
(一〇) 原告大柴晴雄
<証拠 略>によれば、原告の事情(一一)(1) ないし(3) の事実が認められるほか、同原告の現在の肩書住所の土地(同原告所有名義)は約三五〇坪あり、そのうち約二五〇坪は、長姉の経営する幼稚園の園舎の敷地及び運動場として使用されていることが認められる。
(一一) 原告小川迪
<証拠 略>によれば、原告の事情(一二)(1) ないし(4) の事実が認められる。
(一二) 原告本多健二
<証拠 略>によれば、原告の事情(一五)(1) 、(2) の事実が認められるほか、本多利八及び同原告一家は、横浜空襲による罹災後借家を転々とし、昭和二八年ころから横浜市南区中村町の借家(四・五畳一間)に四人で居住していたこと、その後右建物を買取り、約一〇坪の右敷地に二間増築したが狭いため、そこには同原告の両親だけが住み、同原告は別居したこと、右両親は既に死亡しており、同原告は現在、東京都住宅供給公社から購入した住宅(専有部分の床面積六四・八九平方メートル)に一家六人で居住していることの各事実が認められる。
(一三) 原告下氏豊子
<証拠 略>によれば、原告の事情(一六)(1) ないし(3) の事実が認められるほか、現在、同原告は一人暮しであることが認められる。
(一四) 原告若林一夫
<証拠 略>によれば、原告の事情(一七)(1) ないし(3) の事実が認められるほか、若林角正及び同原告一家は、横浜空襲による罹災後横浜市の提供した肩書住所地に居住しており、昭和三七年に右土地(約六〇坪)を購入して現在の建物(二階建、建坪約三一坪)を建築したこと、右建物に一家四人で暮していること、同建物は日照が良くないことの各事実が認められる。
(一五) 原告須藤茂雄
<証拠 略>によれば、原告の事情(二〇)(1) 及び(2) の事実が認められる。
(一六) 原告平岡萬寿彦
<証拠 略>によれば、原告の事情(二一)(1) ないし(3) の事実が認められるほか、同原告は、昭和三八年ころ肩書住所の土地(約一一〇坪)と建物(約六〇坪)を購入し現在に至つていることが認められる。
(一七) 原告岩川太郎
<証拠 略>によれば、原告の事情(二二)(1) ないし(3) の事実が認められる。
(一八) 原告金鐘元
<証拠 略>によれば、原告の事情(二三)(1) ないし(3) の事実が認められるほか、同原告は、昭和四六年ころ肩書住所の土地(約一四〇坪)を所有し、同地上建物に一家一三人で居住していることが認められる。
(一九) 原告小嶋泰
<証拠 略>によれば、原告の事情(二四)(1) ないし(3) の事実が認められるほか、同原告は、昭和四三年ころ肩書住所の土地(約一〇〇坪)を購入し、同五六年ころ右土地に建物を建て居住していることが認められる。
(二〇) 原告大胡幸信
<証拠 略>によれば、原告の事情(二五)(1) ないし(3) の事実が認められるほか、同原告は、昭和三〇年ころ肩書住所地の建物(建坪約二二坪)を購入したこと、借地である右建物の敷地の面積は約三〇坪であること、現在は右住所において次男と二人で暮していることの各事実が認められる。
(二一) 原告太田健一郎
<証拠 略>によれば、原告の事情(二八)(1) 及び(2) の事実が認められるほか、同原告は、昭和四〇年ごろ肩書住所の土地約四〇坪を購入し、右土地に建物(建坪約三〇坪)を建て家族と居住していることが認められる。
(二二) 原告増田貞子
<証拠 略>によれば、原告の事情(二九)(1) 及び(2) の事実が認められる。
(二三) 原告石田マツ、同石田〔ただ〕宏
<証拠 略>によれば、原告の事情(三一)(1) 及び(2) の事実が認められるほか、同原告ら一家は、昭和五四年ころまで横浜市中区三之谷にある借地に家を建てて居住していたが、原告石田〔ただ〕宏が事業に失敗したため肩書住所地に移転したこと、右住所地において同原告の妻が食堂を経営(厨房と食堂の面積は合計約六坪)していることの各事実が認められる。
(二四) 原告石田初枝
<証拠 略>によれば、原告の事情(三二)(1) ないし(3) の事実が認められる。
(二五) 原告伊藤弥一郎
<証拠 略>によれば、原告の事情(三三)(1) 及び(2) の事実が認められるほか、同原告及びその一家は戦前から本件土地三三に居住したことがないこと、同原告の肩書住所の土地建物はいずれも長男夫婦の所有名義であることの各事実が認められる。
(二六) 原告成川五郎
<証拠 略>によれば、原告の事情(三五)(1) 及び(2) の事実が認められるほか、同原告は、昭和二五年ころから同五八年ころまで横浜市中区本牧元町に家族とともに居(借家)していたが、妻に先立たれ、子らが独立して同原告の一人住まいとなつたため同地を離れたことが認められる。
2 被告の事情
<証拠 略>を総合すれば、各原告が借地を希望している本件各土地及びその付近一帯約八八万二〇〇〇平方メートルについては本件事業の施行区域内にあること、右事情の必要性ないし進捗状況については大略抗弁1及び2のとおりの次第であつて、本件事業の施行区域内の各土地所有者の土地利用の意向をも容れたうえで、公共施設の整備と宅地の利用増進を図るための都市計画が立案され、また、その一環として、本件事業と併せて、ほぼ全土地所有者(当初約四〇〇名、現在約八〇〇名)の間で本件建築協定が合意されていること、右計画に沿つてそのための換地計画が現に実施されており、既に仮換地指定済の部分もあり、最終的に本件事業が終了するのは昭和六四年三月ころであること、被告については、右施行区域内の被告所有地(但し、道路を除く。)約四三万一〇〇〇平方メートルに対し、約三二万三〇〇〇平方メートルの換地が予定されており、その殆どは本件建築協定上住宅に使用できない「その他」の区域に該当し、残りの換地予定地についても、被告の意向としては、公的住宅などあくまで公的利用を予定していることが認められる。
3 ところで、接収不動産法は、借地についていえば、旧連合国占領軍等による土地の接収により、接収当時当該土地に存した借地権が接収中に消滅等した場合、接収解除後において、接収当時の当該土地の借地権者に対し、旧借地の範囲につき、借地権を優先的に設定することを目的とするものである。そして、同法三条四項所定の、土地所有者が旧借地人からの適法な土地賃借の申出に対しこれを拒絶しうる「正当な事由」の有無は、土地所有者及び借地申出人がそれぞれその土地の使用を必要とする程度如何は勿論のこと、双方の側に存するその他諸般の事情を総合して判断すべきものではあるが、その場合、そもそも右は通常の借地関係において、現に存する借地権につき地主から借地人に対し当該借地の返還を求める場合の「正当事由」(借地法四条等)の有無を判断する場合とは自ずからその視点を異にし、借地関係の当事者双方に存する事情の比較衡量においても趣きを少しく異にするものというべきである。しかして具体的には、同法が戦後復興を目的とする罹災都市法による罹災地借地人の保護との権衡上、接収地の旧借地人を保護するため制定されたものであり、そこには戦後同法施行当時(昭和三一年)の劣悪な住宅事情下における被接収者の住居等の安定確保と接収解除地の復興促進の要請があるところ、本件では同法施行から既に二五年余を経過した後に接収解除がなされ、しかも、現在では本件各土地の存する横浜市周辺の住宅事情は同法施行当時では予想もできなかつた程大幅に改善されていることは公知の事実であつて、もはや同法の前記要請も極めて薄らいだものといわざるを得ないし、また、借地申出人については借地していた接収地を離れて既に四〇年余を経過し、他の土地で生活基盤を作り居住環境もそれなりに安定しているという状況下にあることをも考慮して判断するのが相当である。
したがつて、以下かかる観点から、各原告の本件各土地の借地申出に対する被告の拒絶の正当事由の有無につき考える。
4 まず、各原告については、前記六1のとおり、接収後から約四〇年余を経過した現在、大半の原告(ないしその子ら)が土地あるいは建物を所有(敷地は借地)してそれぞれ生活の基盤を確立しており、横浜市周辺の昨今の住宅事情に比較して大差のない状況にあるものといえ、その家族構成、敷地・建坪等に照らせば、より良好な住環境を確保しようという希望を持つてはいるものの、今直ちに本件各土地(その換地予定地)上に借地権を回復しなければならない客観的に差迫つた必要性を認めることは必ずしもできない。もつとも、原告下氏豊子、同須藤茂雄、同石田マツ、同石田〔ただ〕宏及び同成川五郎にあつては、いずれも借家住いであり決して恵まれた居住環境にあるものとはいい難いけれども、その家族構成等に照らせばやむを得ない面もないではな。
他方、被告は、接収解除後の本件各土地を含む周辺土地について被告ら土地所有者の意向を容れつつ立案実施される都市計画(本件事業及び本件建築協定)において、その所有地につき、公共施設ないし公的住宅等の用地として早晩仮換地ひいては換地の指定処分を受けることが予定されているのであつて、右都市計画の必要性、公益性及びその進捗状況に鑑みるときは、原被告の事情の比較衡量のうえで、被告の自己使用の必要性が各原告のそれを優越するものといわざるをえず、したがつて、被告には正当事由を肯認することができるというべきである。
なお、本件接収により本件各土地の借地使用を妨げられた各原告に対して被告から何等の補償がなされていない点については、右補償について定める法規がなく、補償をなすか否かは立法政策に委ねられているのであるから、本件における正当事由の判断においては右補償の有無を考慮するのは相当でない。
5 したがつて、本件各土地について被告が各原告に対してなした借地申出の拒絶は、接収不動産法三条四項の「正当事由」がある場合に該るものであり、各原告の借地申出によつて各原告に借地権を取得すべき効果が生ずるものとは認められない。
七 以上の次第で、原告らの本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 萩原孟 樋口直 小西義博)
別紙 物件目録<省略>
借地権目録<省略>